マハトマ・ガンジー(1869年10月2日~ 1948年1月30日)。インド独立の父として知られています。
マハトマとは「偉大なる魂」という意味で、インドの詩聖タゴールから贈られたとされているガンジーへの
尊称です。
ガンジーは、イギリスに留学して法律を学び、南アフリカ共和国に赴いて、人種差別の問題に直面。
そこから、インドの独立運動に身を投じることになります。何度も投獄されますが、非暴力・不服従の姿勢を
貫きます。
1937年から1948年にかけて、計5回ノーベル平和賞の候補になったそうですが、受賞には至りません
でした。
第二次世界大戦終了後の1947年、宗教的な対立を残したまま、インドとパキスタン(現在のパキスタン
及びバングラデシュ)に分裂した状態で独立することになりました。
ガンジーはこれに対して、宗教の融和と寛容を訴え、両国の統一に力をそそぎますが、1948年1月30日、
狂信的なヒンドゥー原理主義集団の銃弾に倒れることになります。 78歳でした。
1869年 誕生
1881年(12歳)アルフレッドハイスクールに入学。
1882年(13歳)インド幼児婚の慣習により、生涯の妻となるカストゥルバと結婚。
1887年(18歳)ロンドンに渡り、インナー・テンプル法曹院に入学。
1893年(24歳)イギリス領南アフリカ連邦(南アフリカ共和国)で弁護士として開業。
20世紀初頭 インド系移民の差別に対する権利回復運動を行った。
逮捕、投獄を経験。
1914年(45歳)第一次世界大戦。
第一次世界大戦後は、独立運動をするインド国民会議に加わり、
不服従運動で世界的に知られるようになる。
1939年(70歳)第二次世界大戦。
1945年(76歳)第二次世界大戦終結。
1947年(78歳)イギリス国王を元首に戴く英連邦王国であるインド連邦が成立。
1948年1月30日 ニューデリーで狂信的なヒンドゥー原理主義集団の銃弾に倒れる。