【時は得難く、失い易し】は、好機はなかなかめぐってこないものであり、また、好機が来たにしても油断をするとすぐ去ってしまう、と言うことが『史記』齊太公世家に出ています。
武王は殷王朝を滅亡させ、天下の王となりました。太公望を斉の営丘の地に封じました。
太公望は東の斉へと旅立ちましたが、途中の宿泊や道行が非常にゆっくりしていました。
逆旅人曰、
逆旅(ゲキリョ)の人曰く、
(その様子を見た)旅館の主人が云いました。
吾聞時難得而易失。
吾れ聞くに時は得難く、失い易しと。
わたくしは、好機は得にくくて失いやすい、と聞いております。
客寝甚安、
客、寝ぬること甚(はなは)だ安(やす)し、
お客様はとてもゆっくりとして、少しも急ぐ気配がありません。
殆非就国者也。
殆(ほと)んど国に就く者に非ざるなり、と。
とても、任地に就かれる方には見受けられません。
これを聞いた太公望は反省し、夜のうちに出発して明け方には斉へと到着しました。
そこに丁度、萊侯(ライコウ)が攻めて来て営丘で争いになりました。
営丘は萊の国境に近く、萊人は夷狄でした。
紂を討伐して周は天下を平定しましたが、その統治は辺境までは行き届きません。
それで、萊人が太公望と営丘を巡って争いになったのです。
太公望は、政治を整え、民を安んじ、その地の風俗に合わせて礼を簡約にし、
商工を行なわせ、海産物によって国政を潤したので、斉には多くの人々が集まって
斉は大国となりました。