実践を通して、知識や精神を磨き上げるという意味です。
明(ミン)の王守仁(王陽明)が学問・諸事の修養についてのべた言葉です。
王陽明の語録を弟子であり娘婿の徐愛(ジョアイ)らが編集した『傳習録』に記載されています。
【事上】は、実際の行動や実践を遂行しながら、と言う意味です。
【磨錬】は、知識や精神を磨くという意味です」。
学問の修養について、
『朱子学』は、まず書斎で書を読み、心静かに無念無想の修養を要求します。
『陽明学』は、実際の日常の行動をこなし、これを通して意志を鍛練することを要求します。
因みに『傳習録』は、『論語』学而篇の、『傳不習乎:習わざるを伝うるか』に基づいての命名だそうです。
何須更起念頭。
何ぞ更に念頭を起こすを須(もち)いん。
他に何かする必要などはない。
人須在事上磨錬、做功夫、
人須(すべか)らく事上に在りて摩練(=研鑽)し、功夫(=努力)を做(な)すべし。
誰しもがなすべきことは、実際の業務を通して研鑽し努力をすること、
乃有益。
乃ち益あり。
さすれば必ずや成果が得られるのである。
『陽明学』では。「事」を離れて「學」がある訳ではなく、日常の業務をきちんとこなし、
それを通して修養するのが真の学問であるということのようです。