災いも福も、すべて自分がその種をまくものであり、禍福は自身の生き方に関わることを言います。
『孟子』公孫丑(コウソンチュウ)上にでている言葉です。
今國家閒暇、
今國家閒暇(カンカ)あり、
今かりに国家が平穏でゆとりがあるとして、
及是時般樂怠敖、
是の時に及びて般樂怠敖(ハンラクタイゴウ)せば、
それをよいことに大いに楽しみ怠けあそぶならば、
是自求禍也、
是れ自ら禍を求むるなり。
これは自分から禍を招くというもの。
禍福無不自己求之者、
禍福は己より之を求めざる者なし。
災難にもせよ幸福にもせよ、すべて自分から招かぬものはない。
詩云、永言配命、自求多福、
詩に云う、永言(なが)く命に配し、自ら多福を求むと云い、
詩経に言うように、末永く天命に従ってふるまい、自らの幸福を求めよ。
太甲曰、天作孽、猶可違、
太甲に曰く、天の作(な)せる孽(わざわい)は、猶(なお)違(さ)くべき、
(書経の)太甲篇にあるように、天の降した災難はどうにか避けられもしようが
自作孽、不可活、
自ら作(な)せる孽(わざわい)は、活(のが)るべからずと、
自分の招いた災難はとても遁れられない。
此之謂也。
此れこの謂(いい)なり。
いずれもこのことを言ったものである