禍(わざわい)と福とは、交互にやって来る、という意味です。「縄」は三つ縒り(一説に二つ縒り)の縄のことです。常用漢字の「縄」は俗字で、正字は「繩」と書きます。
「禍福は糾(あざな)える縄(なわ)のごとし」と訓読します。
『史記 南越(ナンエツ)伝』に太史公曰く、として
「樓船(ロウセン)将軍は欲にまかせて、怠り傲(おご)って失敗し、伏波(フクハ)将軍は困窮に
おちいって、ますます智慧を出し、禍を転じて福とした。成功・失敗の変化の状態は、
たとえば、糾える縄のようなものであろう」
と記されています。
また『漢書 賈誼(カギ)伝』には、賈誼(B.C.201~B.C.169)が長沙王の守り役でいたとき、フクロウが飛び込んできてそばに止まったことを不吉の兆しとし、寿命も長くはあるまいと感じ
「禍には福が宿っており、福には禍が隠れています。禍と福とは、より合わせた縄と同じです。
運命は説明できません。だれがその終極を知っておりましょう」
というような内容の文章を書いたと記載されています。
昔から禍と福は交互にやって来る、と考えられていまして
1) 禍中福有り・・・・・・・ ・・・禍の中に福がある。
2) 禍と福とは門を同じくす・・・・禍も福もみな同じ門から入って来る。
3) 禍福門なし・・・・・・・・ ・・禍福には決まった入り口はない。
4) 禍福倚伏(かふくいふく)・・・禍は福の倚るところ、福は禍の伏するところ。
5) 禍を転じて福と為す。
6) 吉凶は糾纆のごとし・・・・・・善いことと悪いことはより合わせた縄のようである。
等々です。