『史記』范雎(ハンショ)蔡沢(サイタク)列伝にある【一飯(イッパン)の德も必ず償(つぐな)う】は、
一度食事を振る舞われた惠みでも必ず恩返しをする、わずかな恩でも必ず恩返しをするたとえです。
范雎は、魏の人で、魏の大夫須賈(シュカ)に仕えていましたが、斉への使いに同行した折、魏の機密を漏らしたのではないかと疑われ半殺しの目にあわされます。
秦に逃れ、昭(襄)王に仕えて、遠交近攻の策を献じ、B.C.266年秦の宰相になりました。
宰相になった范雎は、世話になった人達、特に自分を助けたために困窮に陥ってしまった
人達に、全財産を擲(なげう)って報いました。
又、鄭安平(テイアンペイ:范雎が秦へ逃れるときに世話になった人)を任ず。
又、范雎は鄭安平を推薦し、
昭(襄)王以て将軍と為す。
昭(襄)王は将軍に任用しました。
范雎是に於いて家の財物を散じ、
范雎はここに至って自分の財貨をなげうち、
盡(ことごと)く以て嘗(かっ)て困戹(コンヤク)せし所の者に報ゆ。
自分を助けたために困窮に陥ってしまった人々に、ことごとくお礼として与えました。
一飯之徳必償、睚眦之怨必報。」
一飯の徳も必ず償ひ、睚眦の怨みも必ず報ゆ。
一杯の飯の恩義にもキチッと償いをし、
睨みつけられたようなわずかな怨恨にも必ず報いたのでした。