たくさんいる牛に生えた、多くの毛の中のうちの一本の毛の意味から、問題にならないほどの小さなことを表す四字熟語です。取るに足りない些細なことを言います。
もっと極端に言いますと、「物の数にも入らないくだらないもの」の表現に使われます。
「九牛」は多くの牛のことで、「九」は数が多いことをいいます。【九牛一毛】を略して「九牛毛」ともいいます。
類義の四字熟語として、大海一滴(タイカイイッテキ)、滄海一滴(ソウカイイッテキ)
滄海一粟(ソウカイイチゾク)
があります。
司馬遷は、図らずも匈奴の捕虜となった李陵(リリョウ)を弁護したため、武帝の怒りに触れ、宮刑(去勢される刑で死刑に次ぐ重刑)に処されました。
4年後のB.C.96年6月、大赦によって司馬遷は釈放され、以前にも増した重要なポスト「中書令:チュウショレイ」に就きました。宦官が担うこの役職は司馬遷にとって屈辱でした。
2年ほど前(B.C.93年)友人の任安(ジンアン)から手紙を受け取っていましたが、返事を書いていなかったことを思い出しました。
というのも、この年(B.C.91年)任安が、武帝を呪った「巫蠱(フコ)の乱」に連座した疑いで死刑判決を受けたからでした。
その任安に宛てた司馬遷からの返書が『任少卿(ジンショウケイ)に報ずるの書』として『漢書』にあります。
その中で【九牛一毛】を使い、宮刑を受けた自分の意見など誰も聞いてくれない、君の力には残念ながらなれない旨を認(したた)めてあります。
假令(たとひ)僕、法に伏し誅(チュウ)を受くるも、九牛の一毛を亡(うしな)へるが若(ごと)し、
もしも、私が法に従って、罰せられたとしても、多くの牛の中から、一本の毛を
失ったようなもので、
螻蟻(ロウギ)となんぞ異なる。
虫けらと何等、かわる事はありません。
而して、世も又能く節に死せる者と比さず。
世間もまた、節を守って死んだ者と比べて悼(いた)んでもくれまい。