月が白く輝き、風も涼しく吹いている、秋の月夜の風情を形容している四字熟語です。
【月白風清:ゲッパクフウセイ】は蘇軾(ソショク)の『後赤壁賦:コウセキヘキのフ』に出てくる言葉です。長編の詩文ですので、【月白風清】のところだけ抜き書きしました。
已(すで)にして歎じて曰く、
溜息も出てくるよ
「客(かく)有れども、酒無し、酒有れども肴(さかな)無し。
「せっかく友達と来たのに、酒がない、酒は何とかするとしても肴がない。
【月白く風淸し】、此の良夜(りょうや)を如何(いかん)せん」
月は白く冴え 風は爽やかに吹く、素晴らしき夜も、これじゃ台無しだ」。
蘇軾46歳の夏、三国の英雄を偲び、流人の我が身を嘆き、ひと時、明月と清風とを楽しまんと、赤壁に船を浮かべました。この時作ったのが『前赤壁賦』です。
蘇軾は『赤壁賦』を作って3ケ月後、10月の赤壁にやってきました。目に入る光景は、7月とは大違い。
月は小さく見え、水は枯れて岩石がごつごつと露出しています。あの日からどれだけの月日が流れたのか。
驚きの中で、月夜の美観と懐古の情を、格調高く詠いあげました。これが前述の【月白風清】を詠み込んだ『後赤壁賦』です。
ところで、酒と肴はどうなったかと言いますと
肴は友人が仕掛けておいた網にかかった鱸(すずき)
酒は蘇軾の奥さんがイザと言う時のために取っておいた一斗ほどのお酒。
それぞれ手に入りましたので、気分新たに、また赤壁の下に遊んだのでした。メデタシメデタシ。
実際には三国志の古戦場『赤壁』ではなく、かなり下流の『赤鼻磯(セキビキ)』で詠んだそうです。
後漢末期の208年、曹操と、孫権・劉備の連合軍が実際に闘った場所が「武赤壁」
蘇軾が「赤壁賦」を作った「赤鼻磯」は、「文赤壁」といわれているようです。
『前赤壁賦』の風とお月さんは【清風明月】という四字熟語になっています。
惟(ただ)【江上の清風と山間の明月】とのみは、
ただ長江に吹く清々しい風と、山あいの明月だけは、
耳(みみ)之(これ)を得て声を為(な)し、
耳に心地よき音楽となり、
目(め)之(これ)に遇(お)うて色を成す。
目には美しい景色となる。
8月31日は、十五夜です。 まん丸、お月さんです。