できないのではなく、しようとしないのである、という意味です。
孟子が魏の惠王を訪問した時の対話の中に出てくる故事成語です。『孟子』梁恵王章句上
恵王は、
先生、ようこそ。千里を遠しともせずにはるばるとお越し下さったからには、
やはり(他の遊説の先生方のように、)わが国の利益となる方策をお持ちでしょうな。
で、はじまる対話の一部です。
然則一羽之不擧、爲不用力焉。
然(しか)らば則(すなわ)ち一羽の挙(あが)らざるは、力を用いざるが為なり。
つまり、一枚の羽根が持ち上げられないというのは、力を出そうとしないからです。
輿薪之不見、爲不用明焉。
輿薪(ヨシン)の見えざるは、明を用いざるが為なり。
車一杯に積んだ薪が見えないというのは、見ようとしないからです。
百姓之不見保、爲不用恩焉。
百姓の保(やす)んぜられざるは、恩を用いざるが為なり。
人民の生活が安定していないのは、お情けをかけようとなさらぬからです。
故王之不王、不爲也、非不能也。
故に王の王たらざるは、為さざるなり、能わざるに非ざるなり。
ですから、王様が王者となられないのは、なろうとなさらぬからであって、
出来ないのではありません。