婦人の40才も一生の内で変化の生ずる時期である、と佐藤一斎先生は『言志後録』242条で仰っています。少し長い文章ですが、江戸後期、佐藤一斎先生の御婦人観とでもいうのでしょうか。
婦人の齢四十も、亦一生変化の時候となす。
婦人の40才も、また一生の内で変化の生ずる時期である。
三十前後猶(な)お羞(シュウ)を含み、且つ多く舅姑(キュウコ)の上に在る有り。
30才前後はまだ羞かしがる心があるし、そのうえ舅(しゅうと)や姑(しゅうとめ)が
まだ上にいるものだ。
四十に至る比(ころ)、鉛華(エンカ)漸(ようや)く褪(あ)せ、頗(すこぶ)る能く人事を料理す。
40才になると、化粧で飾る気持ちも褪せて、人の事の世話をするのも上手になる。
因(よ)って或は賢婦の称を得るも、多く此の時候に在り。
それで賢婦人と言われるのも多くはこの時期である。
然れども又其の漸く含羞を忘れ修飾する所無きを以て、
然し、一方では羞いの気持ちを忘れ飾り気もなくなり
則ち或は機智を挟(さしはさ)み、淫妬(イント)を縦(ほしいまま)にし、
機智を下手に使うなど身持ちを崩したりして
大に婦徳を失うも、亦多く此の時候に在り。
婦人としての徳を失うのも多くはこの時期である。
其の一成(イッセイ)一敗(イッパイ)の関すること、猶お男子五十の時候のごとし。
このように婦徳の成否は、丁度男子50才の時期と同様である。
預(あらかじ)め之れが防(ボウ)を為すことを知らざる可けんや。
これを予防することを知らねばならぬ。