言動などがでたらめで、よりどころがないことを表す四字熟語です。
【荒唐】は、【コウトウ】と発音する擬態語で、意味は「話に取りとめのないこと。でたらめ。」です。
使われている漢字【荒唐】は【コウトウ】の発音を表すために使われているだけで、
【荒】、【唐】それぞれが持っている漢字の意味は関係ありません。
【無稽】の【稽】は、「考える」と言う意味があります。【無】を附けまして「考えが無い」となりまして、
さらに「とりとめがない」とか「でたらめだ」と言うふうに意味が変化しました。
中国古典の『荘子』、『書経』、に出ていますが、【荒唐】、【無稽】と分かれていまして、【荒唐無稽】とまとまって出ている古典は、見つかりませんでした。
『荘子』・天下篇に【荒唐之言】として出ています。
荘周(ソウシュウ)其の風(フウ)を聞きて之を悅(よろこ)び、
荘周はこの教えを聞いてよろこび、
謬悠(ビュウユウ)の説、【荒唐の言】、無端崖(ムタンガイ)の辭(ジ)を以ってす。
とらえどころのない説、【広大でとりとめのない説】、果てしのない話を用いて
(『荘子』を)記述しました。
『荘子』の天下篇は、『荘子』の中で一番最後の篇です。古来「荘子の後序(コウジョ:まとめ)」と言われていましたが、近年中国では天下篇は『淮南子(エナンジ)』を編纂した淮南(ワイナン)王・劉安(リュウアン:B.C.179年~B.C.122年)の作と言う説もあるらしいです。
『書経』・大禹謨(ダイウボ)に【無稽之言】として出ています。
人心(ジンシン)惟(こ)れ危く、道心(ドウシン)惟れ微(ビ)なり。
人間的な心は安定しにくく、道にかなった心は明らかにしにくいから、
惟れ精、惟れ一、允(まこと)に厥(そ)の中(チュウ)を執(と)れ。
純粋専一につとめて、心から中庸(チュウヨウ)の道を守るようにせよ。
【稽(かんが)ふる無(な)きの言(ゲン)】は聴(き)くこと勿(なか)れ。
【根拠のはっきりしない意見】は聞いてはならない。
『風評』の出所(でどころ)は、もっともらしい【荒唐無稽】の話です。
未だに『福島の野菜には放射能が入っている』。 いい加減にしてほしい。