大きな利益を得るために、小さな犠牲を払うこと。『孟子』滕文公下
尺、尋 は、ともに長さの単位です。
尺は、親指と人差し指を広げた時の長さです。
尋は、両手を左右に伸ばした長さです。『ひろ』と言います。
周の時代、尋は、八尺でした。
ですから、一尺を枉げても八尺をまっすぐにすればよい、ということのようです。
且志曰、
且(か)つ志(ふみ:古書)に曰く、
昔の書にあるではないですか、
枉尺而直尋、
尺(セキ)を枉(ま)げて尋(ジン)を直(なお)くす、といえるこそ、
『一尺を枉げても一尋がまっすぐならばよい』とあるではありませんか。
宜若可爲也、
宜(まさ)に爲(まな)ぶ可(べ)きが若(ごと)し。
そうすべきだと思いますが。