自分の行いが確かに正しいという信念ができたときには、たとえ相手が千万人であっても、自分は敢然として進んでこれに当たる、という意味です。『孟子』公孫丑上
自反自不縮、
自ら反(かあり)みて縮(なお)からずんば、
自分で内省して正しくないと判断したならば、
雖褐寛博
雖褐寛博(カツカンパク)と雖(いえど)も、
褐寛博の輩に挑発されても
吾不惴焉、
吾、惴(ゆ)かざらん、
余は進まない。
自反而縮、
自ら反みて縮(なお)ければ、
自分で内省して正しいと判断したならば、
雖千萬人吾往矣、
千萬人と雖(いえど)も吾往(ゆ)かん。
相手が千人万人であろうとも、余は進む。
孟施舎守之氣、
孟施舎(モウシシャ)の氣を守るは、
孟施舎は「気」をよく保って勇敢ではあったが、
又不如曾子之守約也
又曾子(ソウシ)の守り約(ヤク)なるに如(し)かず。
曾子が心に主義をよく保った勇敢にはかなわない。