【大旱(タイカン)の雲霓(ウンゲイ)を望むが如し】は、大変なひでりの時に、雨の前兆である雲や虹を待ちこがれるように、苦しくて困っている時に救いの手が伸べられることを、待ちこがれることのたとえです。
『孟子』梁惠王章句下に出ています。
【旱】は、日+干(音符号)から作られた形声文字です。意味は「ひでり」です。
【霓】は、雨+兒(音符号)から作られた形声文字です。意味は「にじ」です。
「にじ」に雌雄がありまして、内側の色が濃く出るのがオスの「にじ」で「虹」と言います。
外側の色が薄く出るのがメスの「にじ」で【霓】と言います。
七色の虹の並びを、赤(セキ)橙(トウ)黄(オウ)緑(リョク)靑(セイ)藍(ラン)紫(シ)と言ってますが, 雌雄で色の並びが対象になります。
『虹(オスのにじ)』の一番外側が赤です。内側に向かって、橙(トウ)黄(オウ)・・・・・といきます。
『霓(メスのにじ)』の一番内側が赤です。外側に向かって、橙(トウ)黄(オウ)・・・・・といきます。
天下は湯王の征服に信服していたので、東に兵を向けると西の蛮族が怨み、南に兵を向けると
北の蛮族が怨み、人民はあっちでもこっちでも
「どうして我々のところに義軍を送ってくれないのですか」と湯王の軍が来るのを待ち望みました。
民望之若大旱之望雲霓也
民の之を望むこと、大旱に雲霓を望むが若くなり。
人民がこれを望むのは、ちょうど大旱(おおひでり)に俄か雨の兆しである雨雲や虹を
待ちこがれるのと同じです。