『どうして弁舌の才が必要なのか』という意味です。
『佞』は、弁舌の才のあることです。このことば自体に悪い意味はありません。
『論語』公冶長篇で、人格者として知られていた冉雍(ゼンヨウ)を孔子が庇護した場面です。
或曰、
或(あるひと)日く、
ある人が言いました
雍也仁而不佞。
雍(ヨウ)や、仁にして佞(ネイ)ならず。
雍は人格者だが、弁舌の才がない。
子曰、焉用佞。
子日く、焉(いずく)んぞ佞を用(もち)いん。
孔子が言いました、どうして弁舌の才が必要なのか。
禦人以口給、
人に禦(あた)るに口給(コウキュウ)を以てすれば、
人に対して舌先三寸で言いくるめようとすれば、
屢憎於人。
屡々(しばしば)人に憎(にく)まる。
しばしば人に憎まれる
不知其仁、
其の仁を知らず、
(批評した人は)雍(ヨウ)が人格者であることを分かっていない。
焉用佞。
焉(いずく)んぞ佞を用(もち)いん。
どうして弁舌の才が必要なのか。