怨(うら)みのある者に、恩恵を施すこと、が文字通りの約ですが、この【以徳報怨】がいいのか悪いのかを尋ねている場面での言葉です。
【徳を以て怨みに報ゆ】と訓読みされます。
【以徳報怨】は、『論語』の憲問(ケンモン)篇に出てきます。
或ひと曰く、徳を以て怨みに報いば何如(いかん)。
或る人が、人から無礼な態度や理不尽な行動をしかけられた時に、その怨みに対して
徳(恩恵)を以て報いたらどんなもんでしょうか、と質問しました。
子曰く、何を以てか徳に報いん。
(怨みに対しては、怨みで報いるのが普通であるが、それを徳で報いるのだから、
孔子からイイ返事を貰えるだろうと期待していましたところ)孔子はこれに対して、
怨みに対して徳で報いると言うなら、徳を与えられたら何で報いるんだね。
直(なお)きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ。
(そういう時は)直(ジキ)、すなはち公平無私の判断を以て報いるのが良い。
徳に報いるには、あくまでも徳を以てするのが本当の態度である。
【以徳報怨】すなはち【徳を以て怨みに報ゆ】は、世間には通用しづらいと考え、より現実的な解釈を説いたものと思われます。
【徳を以て怨みに報ゆ】は、(この当時はまだ中国に仏教は伝わっていませんが)むしろ仏教的な考えのようです。
またこの「或るひと」というのは、結構底意地の悪い人のように思います。多分に孔子を験(ため)しているようにも感じられます。
あくまでも私見です。