読書は心を修める学問である。『言志後録』144条
読書も亦心学なり。
読書は心を修める学問である。
必ず寧清(ネイセイ)を以てして、躁心(ソウシン)を以てする勿(なか)れ。
だから、心を安らかにし、さわがしい心では読むな。
必ず沈実(チンジツ)を以てして、浮心(フシン)を以ている勿れ。
必ず落ち着いた心で、浮ついた心では読むな。
必ず精深(セイシン)を以てして、粗心(ソシン)を以てする勿れ。
必ず精(くわ)しく深く研究し、粗雑な心では読むな。
必ず荘敬(ソウケイ)を以てして、慢心(マンシン)を以てする勿れ。
必ずおごそかでつつしんだ心をもってし、高慢ぶった心では読むな。
孟子は読書を以て尚友(ショウユウ)と為(な)せり。
孟子は読書することを、尚友と言った、これは古人を友とすることである。
故に経籍を読むは、即ち是れ厳師父兄の訓を聴くなり。
だから、経籍を読むのは、厳しい先生や父兄の訓戒を聴くのと同じである。
史子を読むも亦即ち明君、賢相、英雄、豪傑と相(あい)周旋(シュウセン)するなり。
歴史書や諸子百家の書を読むのもまた直接に賢明な君主や、賢い宰相や、
英雄、豪傑と交際するのと同じ事である。
其れ其の心を清明にして以て対越せざる可べけんや。
だから読書に際しては、心を清明にして、書中の人物より卓越した気概を以て
相対しなくてはいけない。