フィンセント・ファン・ゴッホ(1853年3月30日~1890年7月29日)は、オランダ出身で後期印象派の画家。
1853年 オランダに生まれました。
1869年(16歳) 美術商グーピル商会のハーグ支店に見習いとして就職。
1873年(20歳) 美術商グーピル商会のロンドン支店に転勤。
1875年(22歳) 美術商グーピル商会のパリ本店に転勤。翌年解雇されます。
1876年(23歳)~1879年(26歳) この間聖職者への道を志すが、貧しい人々に同化した
伝道スタイルが、教会の伝道委員会に認められず伝道師の仮免許と俸給を剥奪されて
しまいます。
1880年(27歳) 夏、画家になることを決意し、弟テオの経済的援助のもと、素描をはじめます。
1883年(30歳) 真剣に油彩画にとり組みます。
1885年(32歳) 11月、アントワープへ移ります。
1886年(33歳) ロートレック、ゴーギャンらに出会います。
1888年(35歳) 10月~12月 ゴーギャンと同居。
画風の違いから、意見の違いが大きくなります。それがあってか,
精神的に異常を来たしたのか12月23日、ゴッホが自らの耳たぶを切り落とす
事件が発生しました。
1889年(36歳) これ以降病院の入退院を繰り返しながら制作活動を続けています。
1890年(37歳) 7月27日、胸部をみずからピストルで撃ち、29日 弟テオに見守られながら
息を引きとりました。
翌年1月25日テオもユトレヒトの病院で息を引き取りました。