一滴一滴の小さな水滴でも、長い年月を経ていくうちには、固い石にも穴をあけることが出来るということから、わずかな努力の積み重ねによって大きな事業が達成される、ということです。出典は『漢書』枚乘(バイジョウ)伝です。
前漢の景帝(ケイテイ)三年(B.C.154年)、呉王濞(ヒ)が乱を起こしたさい、家臣の枚乘(バイジョウ)が呉王を諫(いさ)めた文書の中に、【泰山(タイザン)の霤(あまだれ)、石を穿つ】と表現したところがあります。
禍(わざわい)は、基となる原因があります。それを小さいうちに摘み取ってしまうのが良いでしょう。
泰山之霤穿石、単極之「糸+亢」斷幹
泰山の霤(あまだれ)は石を穿ち、単極の「糸+亢:つるべ」は幹を斷つ
泰山の霤が石に穴をあけ、一本の綱(つな)が井戸のいげたを切ってしまいます
霤は錐(きり)ではありません、綱は鋸(のこぎり)ではありませんが、毎日徐々に進行させるから
ついには穴をあけたり、切ったりしてしまうのです。
このように、すべて物事は、小さな力が継続的に働いて成就されるのです。
枚乘が諫めたにもかかわらず、呉楚七国の乱が起こってしまいました。
枚乘は梁に逃れ、七国の乱が収まると、景帝は枚乘を弘農(コウノウ)都尉(トイ)として、再雇用しました。