【鹿を指して馬となす】と訓読みされます。間違いを間違いと認めず、強引に押し通すことを表す四字熟語です。
『今日の四字熟語No.104 【指鹿為馬】』でも取り上げましたが、今回はその後半のお話をします。
始皇帝の後、末子の胡亥(コガイ)が位をついで二世皇帝になりました。
長男の枎蘇(フソ)は宦官(カンガン)趙高(チョウコウ)の策略で自刃させられてしまったのです。
その趙高が丞相(ジョウショウ:大臣)になった時、群臣が自分に従わないのではないかと心配して、験(ため)してみようと思い、【鹿】を【馬】と言わせたのが【指鹿為馬】でした。
群臣はみな趙高をおそれ、さからう者はいなくなりました。
趙高は、その後二世皇帝を自殺に追い込み、自分が帝位につこうとしましたが、群臣が趙高を推さないので不本意ながら、始皇帝の孫で枎蘇の子供である子嬰(シエイ:在位B.C.207~B.C.206)を三世皇帝としました。
子嬰は玉璽(ギョクジ:天子の印鑑)を受ける儀式を行うため斎戒沐浴(サイカイモクヨク)し、五日後、趙高を殺害し、さらにその三族を皆殺しにしました。趙高の悪事の総決算が行われたのでした。
三世皇帝ですが、実際には秦王嬰と名乗ったそうです。
その秦王嬰もB.C.206年項羽に殺され、最初の統一王朝秦は15年という短命のうちに幕を閉じました。
他人(ひと)の国の島を、俺のだ!俺のだ!と言って、土足で上がり込んでくる国々があります。
日本の周りは、そんな陸(ロク)でもない国ばかりです。
悪いことばかりしていると、命取りになることを御先祖達の事例に学ぶといいのになと思ってます。