学芸と武道の意味です。またその両方にすぐれていることを言います。
いまは、勉学とスポーツの両方で優れている人を言います。
古来より、理想であり又最高の褒め言葉でもあったようです。
『詩経』小雅(ショウガ)六月のところに
文武なる吉甫(キツホ)は 文武に秀でた吉甫
萬邦(バンポウ)憲(のり)と為さん 多くの国の手本となった。
吉甫、燕喜(エンキ)し 吉甫、凱旋の祝宴に喜び
既に多く祉を受けり 王から多くの褒美を賜(たまわ)った。
『史記:孔子世家(コウシセイカ)』には少し意味が違いますが
「文事ある者は必ず武備あり、武事ある者は必ず文備あり」
という言葉ででていますが、この場合は
文武は一方に偏ってはならないという意味で使われています。
晩唐の官僚政治家で詩人の李商隠(リショウイン)の文書に
忠孝の両全を貴(たっと)べば則ち忠、孝に移す可く、
忠義と孝行は一致する、両方同時に全うできる(という意味)。
【文武の二道】を正せば則ち武、文を輔(たす)く可し。
同じように、文武両立する(という意味)。
日本でも【文武両道】、【文武二道】は随所で登場します。
中世以降、武家政権になりますと余計に【文武両道】が人としてのあるべきスタイルと成ったようです。
『平家物語:巻七 木曽の願書』で木曾義仲が、倶梨迦羅峠の戦いに先だって八幡大菩薩に願書を奉納しようとしたとき、右筆として同行していた大夫坊(ダイブボウ)覚明(カクメイ)を呼んで問いかけた場面で
願書を一筆書いて参らせばやと思ふはいかに。覚明、「もっとも然(しか)るべう候(さぶら)ふ」
とて、馬より下りて書かんとす。甲(よろい)をば脱ぎ木曾殿の御前に畏(かしこ)まって願書を書く。
あっぱれ【文武二道】の達者かなとぞ見えたりける。
日蓮遺文‐聖愚問答鈔に
「文武両道を以て天下を治むるに」という記述が見えるそうです。
『第94回全国高校野球選手権大会』が始まりました。
【文武両道】に秀でた各校のぶつかりあいです。