フローレンス・ナイチンゲール(1820年5月12日~1910年8月13日)はイギリスの看護婦。クリミア戦争での負傷兵たちへの献身で著名。
1820年 トスカーナ大公国の首都フィレンツェで生まれ、フローレンス(フィレンツェの英語 読み)
と名づけられたそうです。慈善訪問の際に接した貧しい農民の悲惨な生活を
目の当たりにするうちに、徐々に人々に奉仕する仕事に就きたいと
考えるようになりました。
1847年(27歳) ブレスブリッジ夫妻という有名な旅行家の友人とローマに旅行に出掛けました。
1851年(31歳 ) ドイツの病院付学園施設カイゼルスベルト学園に滞在しました。
1854年(34歳) クリミア戦争が勃発。ナイチンゲール、自ら看護婦として従軍する決意を固め、
ナイチンゲールはシスター24名、職業看護婦14名の計38名の女性を率いて戦地に
向かいました。
献身的な看護・治療は女王の耳にも達しました。
看護師を「白衣の天使」と呼ぶのは、ナイチンゲールに由来しているそうです。
夜回りを欠かさなかったことから、「ランプの貴婦人」とも呼ばれました。
1856年(36歳) パリで平和条約が締結される。4月29日クリミア戦争終結。
1860年(40歳) ナイチンゲール看護学校設立
1907年(87歳) 女性として初めて有功勲章(メリット勲章)を授かりました。
1910年(90歳) 8月13日永眠。墓石には故人の遺志により、ただ「F. N. Born 1820. Died 1910.」
(F.N 1820年生 1910年没)とだけ記されました。