何事も調和が大切である、という意味ですが、本来は『論語』學而篇にありますように、
礼式や作法、の実行においては、調和が大切である、ということです。
聖徳太子の十七条憲法では、「和」を重視して、第一条にこの言葉を採用したようです。
一曰。以和為貴。無忤為宗。
一に曰く、和を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。
學而篇 第十二章の全文です。
有子曰、禮之用和爲貴、
有子曰く、礼の用は和を貴しと為す。
有子が言いました、礼の運用というものは、調和が大切である。
先王之道斯爲美、
先王の道も、斯(これ)を美となす。
むかしの立派な王たちのやり方も、この和のよろしきを得たから美しかったのだ。
小大由之、有所不行、
小大、之(これ)に由るも、行はれざる所あり。
しかしながら、大小の事柄、いかなる場合でも、この和だけにたよっていくと、
うまくいかないことがある。
知和而和、不以禮節之、
和を知りて和すれども、礼を以てこれを節せざれば、
だから、和の大切なことを知って和らいでも、秩序という礼で適当な節度を与えて、
折り目、切り目を付けないと、
亦不可行也、
亦(また)行ふ可(べ)からざればなり。
諸事うまく運ぶものではない。