実際にはかなりの歳になっているのですが、夢中になっていることに励んで、自分が歳をとっていることを忘れてしまうような充実した生き方をしている、という意味です。出典『論語』述而
葉公問孔子於子路。
葉公(ショウコウ)、孔子を子路に問う。
葉公が孔子のことを子路に訊ねました、
子路不對。
子路対(こたえ)ず。
(子路は口達者でもなく、何と言ってよいかわからなかったので)
子路は答えませんでした。
子曰、
子曰く、
孔子が言いました、
女奚不曰、
女(なんじ)奚(なんぞ)曰わざる、
お前はどうして(こう)言わなかったのだね。
其爲人也、
其の人と為(な)りや、
その人となりは、
發憤忘食、
憤りを発して食を忘れ、
(わしという人物は、生まれつき学問が好きで、分からないことがあると)
発憤して(研究に夢中になって)食事も忘れ、
樂以忘憂、
楽しみて以て憂いを忘れ、
(その意を会得すると)心から喜び楽しんで、心配事も忘れてしまう、
不知老之將至也云爾。
老いの将に至らんとするを知らざるのみと。
老いがやって来ることにも気づかずにいる。