立派な大人というのは、どういう人を言うのでしょうか、と孔子の弟子の司馬牛(シバギュウ)が、聞いた
時の答えです。
自分の心の中を振り返ってみて良心に恥じるところがない人である。『論語』顏淵第十二
司馬牛問君子。
司馬牛(シバギュウ)、君子を問ふ。
司馬牛が立派な大人とはいかなる者でしょうか、と聞きました。
子曰、君子不憂不懼。
子曰く、君子は憂(うれ)へず、懼(おそ)れず、
孔子が言いました、
立派な大人は心に心配事もなく、おそれおののくこともない者である。
曰、不憂不懼、斯可謂之君子已乎。
曰く、憂へず、懼れず、斯(ここ)に之(これ)を君子と謂ふかと。
(司馬牛は、ふたたび)聞きました、人はただ、心配もせず恐れもしないなら、
それだけで、立派な大人と言えるんでしょうか。
子曰、内省不疚、夫何憂何懼。
子曰く、内に省(かへり)みて疚(やまし)からざれば、夫(そ)れ何をか憂え何をか懼れんと。
孔子が言いました、
もし人が自分に反省してみて、何も後ろ暗いことがないならば、その人は心配する
ことも無かろうし、おそれることもない。