【先(さき)んずれば即(すなは)ち人を制し、後(おく)るれば則ち人の制せらるる所と為(な)る】
先手を取れば相手を制圧することができるが、後手に回ってはいけない、という意味です。
秦の二世皇帝の元年(前209年)七月に、陳勝らが大沢地域で蜂起しました。
その九月に会稽郡守の殷通(イントウ)が項梁に言いました。
長江の西ではみんなが反乱を起こしている。これは天が秦を滅ぼそうとしている時を意味している。
吾聞、先即制人、後則爲人所制。
吾れ聞く、先んずれば即ち人を制し、後るれば則ち人の制せらるる所と為ると。
吾はこのように聞いている、先んずれば人を制し、後るれば人に制せられる所となる、と。
吾欲發兵使公及桓楚將。
吾れ、兵を発し、公及び桓楚をして将たらしめんと欲す、と。
だから私は先手を取るために挙兵して、あなたと桓楚を将軍に任命しようと思っている、と。
この時、桓楚は逃亡して沼沢地帯に隠れていた。
項梁が言いました、
桓楚は逃亡して誰も居場所を知りませんが、甥の項籍(項羽)だけが知っております、と。
項梁は外に出て項羽に事の次第を言い聞かせ、剣を持たせたまま外で待たせました。項梁は
また入室して、郡守の前に座ってから言いました。
項籍をお召しになって、桓楚を呼び寄せるように命令して下さい、と。
郡守は「分かった」と言いました。
項梁は項籍を呼び入れて、暫くしてから項籍に目配せして言いました。「やれ!」と。
項籍は遂に剣を抜いて、郡守・殷通の首を斬り落としました。
項梁は郡守の首を持って、その印綬を自分が身に付けました。
郡守の配下たちが驚いて騒動になりましたが、項籍が撃ち殺した者は百人近くにもなり
役所の中の者はみんな恐れて降伏し、敢えて逆らおうとする者は一人もいませんでした。