悲しげに歌い、世を憤(いきどお)り嘆(なげ)くことを表す四字熟語です。
秦末漢初、劉邦・項羽の楚漢戦争の終盤B.C.202年、垓下(ガイカ)の戦いで項羽が劉邦に追い込まれ、敗戦を悟った項羽は寵姫虞美人(グビジン)や将兵と別れの宴をします。
『史記・項羽本紀』の一齣(ひとこま)ですが、本紀十二篇、世家三十篇、列伝七十篇中、屈指の名場面と言われています。
読み下し文と口語訳を対比して示しました。
読み下し文 口語文
項王の軍垓下(ガイカ)に壁(ヘキ)す。 項羽の軍は垓下に追い詰められ、
兵少なく食尽く。 兵は僅かとなり、食は尽き、
漢軍及び諸侯の兵、之を囲むこと数重なり。 漢軍と諸侯の兵によって幾重にも囲まれた。
夜、漢軍の四面に皆な楚歌するを聞き、 夜になり、漢軍の中から楚の歌が聞こえてきた。
項王乃ち大ひに驚きて曰く、 項羽は驚いて言った。
漢、皆な已に楚を得たるか。 ああ、漢は既に楚を得たか。
是れ何ぞ楚人の多きや、と。 なんと楚人の多きことよ、と。
項王則ち夜起つて帳中に飲す。 項羽は帳中に入り、酒宴を開いた。
美人有り、名は虞(グ)。 美人がいた、名は虞。
常に幸せられ従う。 常に寵愛され従っていた。
駿馬あり、名は騅(スイ)。 駿馬がいた、名は騅。
常に之に騎す。 常にこれに騎して戦った。
是に於いて項王乃ち【非歌慷慨】し、 やがて項羽は【非歌慷慨】して
自ら詩を為(つく)りて曰く、 自ら詩を作って歌った。
力は山を抜き気は世を蓋ふ、 我が力は山を抜き、気は世を蓋う程である。
時に利なく騅は逝かず、 時は我に利せず、騅も遂に進もうとしない。
騅の逝かざる奈何すべき、 騅が進まないのはどうしたらいいんだ
虞や虞、若じを奈何せん、と。 虞や虞や、お前をどうしよう。
歌ふこと数、美人之に和す。 項羽は繰り返し歌い、虞美人は之に応じた。
項王、泣(なみだ)数行下る。 項羽の泣が数行下った。
左右皆な泣き、能く仰ぎ視る莫し。 左右の者もまた泣き、仰ぎ見ることが出来なかった。
項羽が敗戦に追い込まれたのは ①慢性的食糧不足、②人心の乖離、③策謀の欠落 等々だそうです。ところが項羽自身は『時に利なく:時期が悪かった。俺の勢じゃない』の意識だったようです。