自ら行ったことの報いを自ら受けることを言います。
【業】は、仏教語として「おこない」のことで、善い行いをすれば「樂」の果を受け、
悪い行いをすれば「苦」の果を受けるということだそうです。
一般的に、自分の悪い行いによって悪い報いを受けることを言います。
悪い報いも自ら蒔(ま)いた種によるものだから仕方がない、という意味に用いられるようになりました。
『正法念経:ショウボウネンギョウ』というお経の中に【自業自得】がみられます。
非異人作悪、非人受苦報
異人悪を作(な)すに非(あら)ず、人の苦報を受くるに非ず。
他人が悪をなしたのでもなく、他人がその苦しい報いを受けるのでもない。
自業自得果。
自業、自ら果を得たり。
自らなしたことで自らその果報を受けるのだ。
衆生皆如是。
衆生皆、是(か)くの如し。
すべての生き物は、皆そうなのだ。