ひどく心を痛めることを言います。
【疾痛】は、①患部が痛む、②心が痛む。悩み傷む、の意味があります。疾痛惨憺の場合は②です。
【慘憺】は、「サン」+「タン」から、韻が同じということで、畳韻(ジョウイン)の擬態語と言われています。心が痛む様子、痛ましいさまを表した言葉です。
【疾痛】、【惨憺】ともに心を痛めるという意味になります。
中島敦『李陵』二に【疾痛慘憺】が出ています。
『李陵』は、一篇に李陵、二篇に司馬遷、三篇に李陵と蘓武、がそれぞれ主題となっています。
ですから下記は司馬遷の思いです。
十年前臨終(リンジュウ)の床(とこ)で自分の手をとり泣いて遺命(いめい)した父の惻々(そくそく)
たる言葉は、今なお耳底(ジテイ)にある。
しかし、今【疾痛慘憺】を極(きわ)めた彼の心の中に在(あ)ってなお修史の仕事を思い絶たしめ
ないものは、その父の言葉ばかりではなかった。
それは何よりも、その仕事そのものであった。
仕事の魅力とか仕事への情熱とかいう怡(たの)しい態(テイ)のものではない。
修史という使命の自覚には違いないとしてもさらに昂然(コウゼン)として自らを恃(ジ)する
自覚ではない。