【眼、紙背に透る】と訓読され、紙の裏側まで透(とお)るように、書物の真意を汲み取ることから読書の理解力、読解力が深く鋭いことをいいます。
詳しくは分かりませんが、この【眼、紙背に透る】が元になって、【眼光紙背に徹す】となったのかな、と思っています。
江戸時代の儒学者である、塩谷宕陰(しおのやとういん)が同僚の儒学者、安井息軒(やすいそくけん)の人物について述べた、『安井仲平(息軒)の東遊を送るの序』にでています。
読書眼透紙背、
書を読み、眼 紙背に透り
読書の理解力が深く鋭く
識慮高卓、
識(見)・(思)慮、高卓
識見と思慮はずばぬけており
議論出人意表。
議論、人の意表に出(い)づ。
議論は人の意表をつくものであった
塩谷宕陰(文化6年(1809年)4月17日~慶応3年(1867年)8月28日)は、
江戸末期の儒学者です。
名は世弘。宕陰は号。江戸愛宕山下に生まれました。
文政7年(1824年)昌平黌に入門し、
嘉永6年(1853年)ペリー来航の際に献策して海防論を著しました。
文久2年(1862年)昌平黌教授に抜擢され修史に携わりました。
安井息軒(寛政11年(1799年)1月1日~明治9年(1876年)9月23日)は、
江戸時代の儒学者です。
名は衡。息軒は号。日向国宮崎郡清武郷(現・宮崎県宮崎市)出身。
江戸期儒学の集大成を行い、近代漢学の礎を築きました。
門下からは谷干城や陸奥宗光など延べ2000名に上る逸材が輩出されました。
有名な言葉としては、
「一日の計は朝にあり。一年の計は春にあり。一生の計は少壮の時にあり」。