【創業は易く、守成は難し】の略で、新事業を興すより、事業を維持することの方が難しいという意味です。
【創業守成】は、唐の太宗(李世民:在位627年~649年)が群臣と行った政治についての問答を40項目に分類して編集した書『貞観政要:ジョウガンセイヨウ』に出ています。
『貞観』は太宗の治世で、名将・賢臣を用い天下を太平に治めたので、その年号をとって『貞観之治』と世に言われています。
『貞観政要』は政治の手本として、後世ひろく用いられたそうです。
【創業守成】は、『貞観政要』の君道の【創業と守成いずれが難きや】という問いに対して、房玄齢(ボウゲンレイ)と魏徴(ギチョウ)が討論します。
貞観十年(636年)唐の太宗は、側近に尋ねました。「帝王の事業の中で、創業と守成といずれが困難であろうか」
宰相の房玄齢が答えました。
「創業のために立ち上がる時は、群雄が割拠し、これらを降伏させ、天下を平定しました。その様な命がけの困難な点を思いますと創業が困難だと思います」。
重臣の魏徴が反論しました。
「一旦天下を手中に収めてしまえば、気持ちがゆるんで驕り、気儘になります。国家が衰えて破滅するのは、常にこういう時です。それ故、守成の方が困難であります」。
太宗はいいました。
「房玄齢は、かって私に従って戦い、九死に一生を得て今日がある。
創業こそ困難と考えてもっともである。
魏徴は、私と共に天下の安定に努力し、驕りが少しでも生ずれば国家が危機に陥ることを心配して、守成こそ困難と考えてもっともである。
今や、創業の困難は過去のものとなった。今後は汝等と共に守成の困難を心して乗り越えて行かなければならない」。