辞めるか、辞めないかという身の処し方を表現する四字熟語です。「出処」の「出」は世に出ること、仕官すること、「処」は仕官しないで家にいることです。これが「出処」本来の意味です。「進退」は進むか退くかと言うことで、現在は「出処」と「進退」あわせて身の処し方を表す言葉として使われます。
王安石(おうあんせき A.D.1021~A.D.1086)が『欧陽文忠公(歐陽脩 おうようしゅう のこと)を祭る文』で
「功名、成就すれば、居(を)らずして去る。其の出処進退は又庶(ちか)からんか」
(訳):功名を成し遂げたら去る。その身の処し方はいにしえの賢人に異ならない。
と「出処進退」の言葉を交えて歐陽脩を讃えています。
王安石と歐陽脩はともに『唐宋八大家』として知られています。王安石は若い頃歐陽脩に詩文を教えて貰ったようです。特に王安石は歴史上、毀誉褒貶(きよほうへん)の多い稀代(きだい)の政治家でした。歐陽脩は王安石より14歳年上で、当初は王安石を支持していましたが『新法の改革(景気浮揚で経済発展を目指した改革)』が実行されると反対派に回ってしまいました。
北宋(A.D.960~A.D.1126)第4代仁宗のとき、隣国への莫大な「歳幣:サイヘイ(毎年の贈り物)」と自国の「三冗(さんじょう)」によって危機的な状態でした。「三冗」とは
①冗官:公務員の数が多すぎ、
②冗兵:軍隊が多すぎ、
③冗費:無駄遣いが多い、
を言います。
今の日本に似ていると思いませんか。第5代神宗のとき王安石が政治の世界にあらわれて活躍します。有名な『新法の改革』を行います。神宗の強い後押しもあって「改革」が断行され一応の成果を見るまでになりましたが、これも今の日本に似て、「既得権益」を持つ集団(旧法派)によりまして猛反発を受けます。その後新法派と旧法派の対立が長く続きまして、そのうち外国に攻め込まれて南下しました。南宋(A.D.1127~A.D.1279)がこれです。
余談ですが 『紅一点』 と言う言葉は王安石の 「万緑叢中紅一点(バンリョクソウチュウコウイッテン)、人を動かす春色、多きを須(もち)いず」 の詩句からと言われています。 『紅一点』は石榴(ザクロ)の赤い花です。
(訳) 人の心を動かす春の景色は、多くのものを必要としない。多くの緑の中にただ一つの赤い花があるだけでよい。
諸説ありまして、王安石の詩句ではないとも言われています。