一方で利益があれば、他方では損失を生じるという意味です。物事には良い面もあれば悪い面もあるという意味でもあります。
『史記』淮陰侯列伝の
智者も千慮に必ず一失あり、愚者も千慮に必ず一得あり
からの言葉です。
『無門関』にも【一得一失】が見られます。
清涼(ショウリョウ)大法眼、因(ちな)みに僧、齋前(サイゼン)に上參す。
清涼院の大法眼和尚は、ある日、僧が昼食前に参禅のために部屋にやって来たとき、
眼(ゲン)、手を以て簾を指す。時に二僧有り、同じく去って簾を巻く。
黙って簾を指さされた。そのとき二人の僧は揃って簾のところへ行って、簾を巻き上げた。
眼曰く、「一得、一失」。
法眼和尚は、一人はそれでよし、もう一人は駄目だ、と言われた。
無門曰く、且(しばら)く道(い)ヘ、是れ誰か得、誰か失。若し者裏に向って一隻眼(イッセキゲン)を
無門は言う、さあどちらがよくて、どちらが駄目だろう。もしここの処を見抜ける眼を
著(つ)け得(え)ば、便ち清涼國師敗闕(ハイケツ)の處を知らん。
もっているならば、いっぺんにこの立派な法眼和尚のおそまつな負け方が分かるだろう。
かくの如くなりと雖然(いえど)も、切に忌(い)む得失裏(トクシツり)に向かって
商量(ショウリョウ)することを。
そうはいうものの、よいだの駄目だのというようなことだけは避けてもらいたいものだ。