財産とか地位とか言うものは天命、すなわち天の意思で決められたもので、人間の力ではどうにもならないものである、ということを表しています。
『論語』顔淵に出ている言葉で、【富貴(フウキ)天(テン)に在(あ)り】と訓読みされます。
孔子のお弟子さんに司馬牛(シバギュウ:?~B.C.481)と言う人がいました。司馬牛は、孔子を殺そうとした司馬桓魋(シバカンタイ)の弟です。こんな兄がいるということを憂えて、
人、皆兄弟あり、我れ独(ひと)り亡(な)し。
人にはみんな兄弟があるのに、私だけは(いないも同じ様なもので)、独りぼっちだ。
と嘆いていたところ、兄弟子にあたる子夏(シカ:B.C.507~B.C.420)さんが
商(ショウ:子夏の本名)これを聞く、死生(シセイ)命(メイ)あり、富貴天に在り。君子は敬(ケイ)して失(シツ)なく、人と恭々(うやうや)しくして礼あらば、四海の内は皆な兄弟(ケイテイ)たり。君子何(なん)ぞ兄弟なきを患(うれ)えんや。
私、商は人の生死も財産も地位も、みんな天命だと聞いています。
天を敬い過失がないように務め、礼儀正しく振る舞っているならば、世の中の人
みんなと兄弟になれるよ。
だから君も兄弟がいないなんて、悩むこと無いんだよ。
顔淵篇のこの章句には、【富貴在天:フウキザイテン】のほかに
【死生、命有り】:人の生死は運命である。 と言うことから、【死生有命:シセイユウメイ】。
【四海の内は皆兄弟なり】:人、みな兄弟。 と言うことから、【四海兄弟:シカイケイテイ】。
という、二つの四字熟語が出ていました。