呆気(アッケ)にとられ、呆(あき)れ果てて、我を忘れてしまうことです。
孔子のお弟子さんで、弁舌の才能から孔門十哲に数えられている子貢(シコウ)が孔子との問答で【茫然自失】となったことが、『列子:レッシ』仲尼(チュウジ)第四篇の第一章に出ています。
すぐれた知能であっても、その知能の領域を越えたところに始めて真知真能がある。
というようなことを言われて、子貢は何が何だか分からなくなってしまいました。
同席していた、顔淵(ガンエン)は「私はわかりました」なんて言うものですから、子貢は余計ガックリして寝込んでしまいました。
子貢【茫然として自失し】、家に帰って淫思(深く考え込むことです)すること七日。
子貢は、何が何だかわからなくなって、家に帰って七日の間
深く考え込んでしまいました。
寝(い)ねず食(くら)はず、以て骨立に至る。顔淵重ねて往(ゆ)きて之(これ)を喩(さと)す。
その間、夜も眠らず飯も食わず、やせて骨と皮ばかりになってしまいました。
心配して顔淵は、たびたび出かけて、いろいろ話して聞かせました。
及(すなは)ち丘(キュウ)の門に反(かへ)り、絃歌(ゲンカ)して書を誦(ショウ)し、
終身輟(や)めず。
やがて、子貢は何か得るところがあって納得したのでしょう、
再び孔子のもとで礼楽を習い、書を読んで一生を終わるまで
やめることはなかったそうです。
十人の優れたお弟子さん達、孔門十哲は次の人達です。
徳行(仁徳を行動に表す才能) ・・・・・ 顔淵(ガンエン) 閔子騫(ビンシケン)、
冉伯牛(ゼンハクギュウ) 仲弓(チュウキュウ)
政事(政治の才能) ・・・・・・・・・・・・・・・ 冉有(ゼンユウ) 季路(キロ)
言語(弁舌の才能) ・・・・・・・・・・・・・・・ 宰我(サイガ) 子貢(シコウ)
文学(詩書の才能) ・・・・・・・・・・・・・・・ 子游(シユウ) 子夏(シカ)