人としての道に外れそむくこと、を言います。【義】、【德】の字源を知ることによって本来の意味が
正しく理解できると思います。
【義:ギ】は、白川静『字統』によりますと
会意文字です。
羊と我とに從う。我は鋸(のこぎり)の象形。羊に鋸を加えて截(き)り、犠牲とする意。
その牲体に犠牲として神などに供えるのに欠陥がなく、神意にかなうものとして
「義(ただ)しい」の意味が生まれる。
【德:トク】は、『字統』での解説が詳しすぎますので、白川静『常用字解』の説明を記載します。
会意文字です。
彳+省+心とを組み合わせた形。甲骨文字、金文は、彳と省とを組み合わせた形。
彳は、行(十字路の形)の左半分で、行く、歩くの意味。
省は、目の呪力(まじないの力)を強めるために眉に飾りをつけ、その強い呪力のある目で
巡察すること、見まわることを言う。その目には邪悪なものを祓い清める呪力があると
考えられていた。
省に彳を、のちにさらに心を加えて、目の呪力・威力を他の地に及ぼすことを【德】という。
【德】は、もと目の強い呪力をいう字であったが、その呪力がその人がもともと持っている
内面的な、人間的な力に発するものであることが自覚されて、【德】の概念が生まれた。
【德】は、道徳(人の守るべき道、行為の基準)/德性(生まれつき持っている道徳心)の
ように、「ただしい、よい、めぐみ、めぐむ」などの意味に用いられるようになりました。
尾崎紅葉『金色夜叉』に【不義不徳】がみえます。
武士の魂(たましひ)と商人(あきんど)根性とは元これ一物なのだ。それが境遇に応じて
魂ともなれば根性ともなるのさ。
で、商人根性といへども決して【不義不徳】を容(ゆる)さんことは、武士の魂と敢(あへ)て
異るところは無い。
武士にあっては武士魂なるものが、商人(あきんど)にあっては商人根性なのだもの。