門の前に網を張っておくと、雀が捕まえられるほど、訪問客もなく人の往来もない寂(さび)れた状態を表している四字熟語です。
【雀羅】は、雀を捕まえるのに使うカスミ網のことです。【羅】は網のことです。
【門前雀羅】という言葉そのものは白居易の『寓意:グウイ』という詩の中に出てきます。『寓意』は五首から成っていまして、二首目に【門前 雀羅を張る】が出てきます。
白居易が詩に用いた【門前 雀羅を張る】の史実は『史記』の汲黯(キュウアン)・鄭当時(テイトウジ)列伝に出ています。
汲黯も鄭当時も漢の武帝に仕えていて正義感が強く、清廉潔白、直言の士でした。
高位にある時は、お客さんも大勢押しかけてきましたが、讒言(ザンゲン)により免職になると、もう誰も寄り付かなくなりました。
司馬遷はそれぞれの列伝を書き終わったあとに「太子公自序」として、自分のコメントを書いています。
汲黯・鄭当時列伝の「太子公自序」には、翟公(テキコウ)という人の話を持ち出しています。
翟公(テキコウ)が廷尉(裁判官)の時は、賓客(ヒンキャク)が門に溢れていました。官を辞めると、ピタッとお客さんは来なくなりました。【門外に雀羅を張り得る】ほどに人は来なくなりました。
ところが、翟公は再び廷尉(テイイ)に返り咲くと、また賓客が門に溢れて来ました。頭に来た翟公は門に
人の生死に直面した時、友情がどんなものだったかが解る。
人の貧富に直面した時、付き合い方の本音がのぞく。
人の地位に直面した時、本当の友情が試される。
と大書したそうです。
汲黯・鄭当時、と翟公の話は同じこと。悲しいことではないか。
と司馬遷は結んでいます。