【華(はな)を拈(ひね)り、微笑(ミショウ)す】と訓読されまして、
言葉を使わないで、仏法の神髄を、師から弟子の心へ伝えることを言います。
【以心伝心】のことです。
出典は、『無門関(ムモンカン)』という、中国南宋時代の無門慧開(ムモンエカイ:1183年-1260年)によって編まれた仏教書です。
【拈華微笑】は、無門関第六則に【世尊拈華:セソンネンゲ】として記載があります
世尊、昔、在靈山會上拈花示衆。
世尊(セソン)、昔、靈山(リョウゼン)の會上(エジョウ)に在りて、花を拈じて衆(シユウ)に示す。
世尊が、昔、霊鷲山(リョウシュウザン)で説法された際、一本の蓮の花を手にとると、
聴衆の前に示された。
是時、衆皆默然。
是の時、衆、皆、默然(モクネン)たり。
すると、聴衆は皆、ただ默っているばかりであったが、
惟迦葉尊者破顔微笑。
惟(た)だ迦葉(カショウ)尊者(ソンジャ)のみ、破顔微笑(ミショウ)す。
ただ迦葉尊者だけが、相好を崩して、にっこりと微笑んだ。
世尊云、
世尊云く、
そこで世尊は、言いました、
吾有正法眼藏、涅槃妙心、
吾に、正法眼藏(ショウボウゲンゾウ)、涅槃妙心(ネハンミョウシン)、
私には、深く秘められた正しい真理を見る、
説くに説くことのできぬ覚りの心
實相無相、微妙法門、
實相無相(ジッソウムソウ)、微妙(ミミョウ)の法門(ホウモン)有り。
そのすがたが無相であるゆえに、
微妙玄妙なるまことの仏の道へと入る門が、確かに在(あ)るのだが
不立文字、教外別傳、
不立文字(フリュウモンジ)、教外別傳(キョウゲベツデン)、
それを言葉や文字にせず、教としてではなく、別の伝え方で、
付囑摩訶迦葉。
摩訶迦葉(マカカショウ)に、付囑(ふしよく)す。
この摩訶迦葉に委ねることとしよう。