【貧(ヒン)にして道を楽しむ】と、訓読されまして、
(人は貧しいと、とかくへつらいがちになりますが、貧しくてしかもへつらうことなく)
貧しくしてしかも人としての修養を積むことを楽しむ者、という意味になります。
『論語』學而篇の第15章の言葉です。
子貢曰、
子貢、曰く、
子貢が孔子に向かって、
貧而無諂、
貧しくして諂(へつら)うこと無く、
(人は貧しいと、とかくへつらいがちになりますが)貧しくてしかもへつらうことなく
富而無驕何如。
富みて驕(おご)ること無きは何如(いかん)。
(富むと、とかくおごりがちになりますが) 富んでしかもおごることがない、
(このような人がありましたなら、)これは如何なる人物と評価したらよろしいでしょうか。
子曰、可也。
子曰く、可なり。
孔子が言いました、それもかなりの人物ではある。
未若貧時樂道、
未だ貧しくして道を楽しみ、
(しかしまだまだその上がある、貧しくしてへつらうなきもよいが)
貧しくしてしかも人としての修養を積むことを楽しむ者には及ばない、
富而好禮者也。
富みて礼を好む者には若(し)かざるなり。
(富んで驕るなきもよいが)
富んでしかも礼を好む者には及ばない。