ひたすら一つのことに心を集中すること、と言う意味です。
出典は『管子・内業(ないぎょう)』です。『管子』は春秋時代、齊の政治家『管仲(かんちゅう)・名は夷吾(いご)(BC730頃~BC645)』の偉業を敬慕する後学の士によって、戦国時代から秦漢にかけてまとめられた書です。
「四体(したい)既に正しく、血気既に静かにして、意を一にし心を摶(もっぱ)らにし、耳目、淫(いん)せざれば、遠しと雖(いえど)も近きが若(ごと)し」と訓読みされる文章の中に「意を一にし心を摶(もっぱ)らにし」、すなはち『一意摶心』が書かれています。「もっぱら」のところの字は「摶:セン」の字が使われています。
口語訳しますと「四体が健全で、体内の血気が安静であり、意を一つに集中し心を専一にして、耳や目の感覚器官が乱されなければ、遠くにあるものでも、身近にあるもののように明確に得ることが出来るのである」となります。
ロンドン五輪を目指して、マラソンに『一意専心』している川内優輝さんはレースに出ながら体調を上げていくんだそうです。
類似の四字熟語として、
『一意繫心(いちいけいしん)』 『一意攻苦(いちいこうく)』
『一心一意(いっしんいちい)』 『一心不乱(いっしんふらん)』
『専心専意(せんしんせんい)』 『全心全意(ぜんしんぜんい)』
があります。