【人面桃花】は、【人面桃花 相応じて紅なり】の句からの四字熟語です。
美女の例えに使われたり、「相思相愛」という意味に使われたりしています。
唐代の詩人:崔護(サイゴ)にまつわる故事です。下記のエピソードは、ホント?と思われるようなお話です。
詳しくは『太平廣記・卷第274・情感』に記載されているようです。調べていませんのでよくわかりません。
崔護(サイゴ)は、清明節の日に、一人で長安の南に出かけていき、とある屋敷を見つけました。
小さな屋敷で、ひっそりとして人がいないかのようでした。門をしばらくの間叩いますと、
(屋敷の中には)娘がいて、門の隙間から崔護をのぞき見て、「どなたですか」。
「一人で出歩き、酒を飲んでのどが渇いたので飲み物が欲しいのです」。
娘は、一杯の水を持ってきて崔護に渡し、一人で小さな桃の木の枝に寄りかかり、崔護を
見つめていました。
なまめかしく、しとやかで優美あふれる娘に言葉をかけて、気を引こうとしましたが返事はありません。
崔護が別れを告げると、送って門のところまで来て、感情を抑えきれないようすで(屋敷の中に)
入って行きました。
翌年、晴明節の日になると、崔護は、娘のことを思い出し、屋敷を訪ねると、門と土塀はもとの
ままですが、門にかんぬきがかけられていました。
扉に詩を書きつけて帰りました。(『題都城南莊』崔護 作)
去年今日此門中 去年の今日 此の門の中
去年の今日 此の門の中
人面桃花相映紅 人面桃花 相(あい)映(エイ)じて紅(くれない)なり
あの娘と桃の花 ひき立て合って美しく
人面祇今何処去 人面は祇(た)だ 今何(いす)れの処(ところ)にか去る
あの娘は 今、いずこ
桃花依旧笑春風 桃花は旧(キュウ)に依りて春風に笑ふ と。
桃の花は、変わらず春風にほほえむ
数日後、また屋敷を訪ねました。中からすすり泣きが聞こえました。父親がでてきて言うには、
『あなたが、崔護か。あなたが私の娘を殺したのです。』
娘は、昨年以来、ずっと崔護のことを思い続けていたが、 先日、外出から帰ってこの詩を見て、
絶食して死んだのだと言うのです。頼み込んで屋敷の中に入れてもらい、娘のために声をあげて
泣きました。
崔護は娘の頭を持ち上げ、自分の太ももを枕にさせて、「私はここにいますよ、私はここにいますよ」。
しばらくして(娘は)目を開き、半日で生き返りました。父親はたいそう喜び、そのまま娘を崔護に
嫁がせました。