災や幸福は一定の入り口がある訳でない、その人自身が招くものです。その人の心がけ次第で災いにもなれば、幸せにもなるものです。ということを言わんとした四字熟語です。
【禍福、門無し】と訓読みされます。
春秋時代魯(ロ)の国の諸侯である季武子(キブシ)には正妻の子がなかったため、庶公子の誰かを後継ぎにしようと考えていました。それぞれの取り巻き連中の暗躍の結果、年長の公鉏(コウショ)を抜いて年少の悼子(トウシ)が後継ぎになり、公鉏はその家来にさせられてしまいました。
魯の国の年代記『春秋』を詳しく解説した『春秋左氏伝』というのがありまして、その中の㐮公23年のところに、面白くない立場に置かれた公鉏が、出仕しないで家に閉じ籠もったままでいたのを、閔子馬(ビンシバ)という人が諫める場面で【禍福無門】が使われています。
『家に閉じこもりっきりというのはお止めなさい。【禍福は門なし、唯(た)だ人の召(まね)く所なり】と言いますように、禍福には決まった入り口が有る訳ではありません。ただ、人みずからが招くものです。
子たるものは親不幸をしてないかをまず第一にお考えなさい。地位が低いことを気にしてはいけません。お父上の命令を慎んでお受けなさい。後継ぎは年長者がなるものと決まったものではありません。
孝行をして、親の命令に従うと、財産は本家の倍にもなるでしょうし、反対に親不幸で邪(よこし)まならばその禍は下々の民の倍以上になるでしょう』
公鉏はもっともだと考え、朝な夕な、いつも身を慎んで職務に励みました。
結果、公鉏は(本家よりも)豊かになり、地位も魯の国の大臣クラスにまで成りました。