ある事に対する予測や推測が、ほぼ確実だという意味です。
十分に一厘たりないだけで、ほぼ同じという気持ちが強く働いています。
「九分通り」、「十中八九:ジッチュウハック」よりも、ずっと完成に近い意味をもっています。
「ほとんど」、「間違いなく」の意味で副詞的に用いられます。
余談ですが、江戸時代の算術の書である『塵劫記:ジンコウキ』に、小数の名(単位)として、
分 厘 毛 以下が記載されています。
分 フン 0.1
厘 リ 0.01
毛 モウ 0.001
糸 シ 0.0001
忽 コツ 0.00001
繊 セン 0.000001
沙 シャ 0.0000001
塵 ジン 0.00000001
埃 アイ 0.000000001
中島敦『弟子』第八章に【九分九厘】がみえます。
夫子のは全く違う。流暢(リュウチョウ)さの代りに、絶対に人に疑を抱(いだ)かせぬ
重厚さを備え、諧謔(カイギャク)の代りに、含蓄(ガンチク)に富む譬喩(ヒユ)を
有(も)つその弁は、何人といえども逆らうことの出来ぬものだ。
もちろん、夫子の云われる所は九分九厘まで常に謬(あやま)り無き真理だと思う。
また夫子の行われる所は九分九厘まで我々の誰もが取ってもって範(ハン)とすべきものだ。