獅子が奮(ふる)い起ち走り回るような、。
獅子が奮い立って、猛進するような激しい勢い、手の付けられないほどの勢いを、いいます。
【獅子】は、ライオンのことです。
【奮迅】は、すさまじく奮い立つさま、をいいます。。
もともと仏教語で、勢いよく事に当たる様子を表す言葉として使われ、のちに一般の言葉としても使われるようになりました。
『大般若経』五十二では、 獅子王の自在に奮迅するが如し。
『法華経』従地涌出品では、 如來は今、
諸佛の智慧と、
諸佛の自在の神通の力と、
諸佛の【獅子奮迅】の力と
諸佛の威猛(たけだけ)しき大勢(ダイセイ)の力とを
顕發(ケンパツ:明らかに)し、宣示(センジ:知ら)せんと欲する。
と記載があります。
太宰治『走れメロス』に【獅子奮迅】が出ています。
濁流は、メロスの叫びをせせら笑う如く、ますます激しく躍り狂う。浪は浪を呑み、捲き、
煽(あお)り立て、そうして時は、刻一刻と消えて行く。
今はメロスも覚悟した。泳ぎ切るより他に無い。ああ、神々も照覧あれ! 濁流にも負けぬ
愛と誠の偉大な力を、いまこそ発揮して見せる。
メロスは、ざんぶと流れに飛び込み、百匹の大蛇のようにのた打ち荒れ狂う浪を相手に、
必死の闘争を開始した。満身の力を腕にこめて、押し寄せ渦巻き引きずる流れを、
なんのこれしきと掻(か)きわけ掻きわけ、めくらめっぽう【獅子奮迅】の人の子の姿には、
神も哀れと思ったか、ついに憐愍(レンビン)を垂れてくれた。
押し流されつつも、見事、対岸の樹木の幹に、すがりつく事が出来たのである。ありがたい。
メロスは馬のように大きな胴震いを一つして、すぐにまた先きを急いだ。一刻といえども、
むだには出来ない。陽は既に西に傾きかけている。