気に入られるように、相手におもねり、へつらうことを表す四字熟語です。
【阿諛】の【阿】におもねる、へつらう、の意味があります。 【諛】には言葉たくみに人の気を引く、へつらう、おもねるの意味があります。二つ合わせた【阿諛】は、おもねりへつらう、ごますりの意味となります。
【追従】は、後ろにつき従っていく、ということから、人にこびへつらうと言う意味が生まれました。
前漢の学者であり政治家にもなった、匡衡(キョウコウ)は学問を好み、誰よりも精力的に学びました。若い時は貧しくて灯油が買えず、壁に穴をあけて隣家の明かりで書を読み、勉強しました。
【壁(かべ)を鑿(うが)って光を偸(ぬ)すむ】ほどに学問に励んだことから【鑿壁偸光:サクヘキトウコウ】の四字熟語が作られましたが、これは匡衡の故事によるものです。
第10代元帝(B.C.49~B.C.33)の時、匡衡は丞相になりました。
匡衡は、元帝の在世中は権力者:石顕(セキケン)を恐れていましたが、次の成帝が即位すると御史大夫(ギョシタイフ):張譚(チョウタン)と共に石顕のかつての罪悪を弾劾しました。
政敵を弾劾した匡衡ではありますが、正史『漢書』に【阿諛追従】とまでいわれて、司隷校尉(シレイコウイ):王尊(オウソン)らにより自分も弾劾されてしまいました。 ややこしい。
王尊らによる匡衡への弾劾内容は
『大臣でありながら石顕の罪悪を知りつつ弾劾しなかったのは、阿諛追従(原文は、阿諛曲從:アユキョクショウ)であり、今も石顕を弾劾しながら自分の不忠の罪を述べないのは不道である』。
建始3年(紀元前30年)匡衡は丞相を罷免されました。