心をある方向に向け、そのことに心を集中させる、という意味です。
類義の四字熟語に
今日の四字熟語 No.17【一意専心】 http://fukushima-net.com/sites/meigen/27
今日の四字熟語 No.1243 【一心不乱】 http://fukushima-net.com/sites/meigen/1458、
があります。
【一心一向】は、『御文:おふみ』に、何度も登場する四字熟語です。2帖目9通にある文章を記載します。
『御文』は、浄土真宗本願寺八世蓮如(レンニョ)が、全国の門徒へ手紙として発信した仮名書きによる法語です。本願寺派では『御文章(ゴブンショウ)』といい、大谷派では『御文』、興正派では『御勧章(ゴカンショウ)』というそうです。
【一心一向】というは、阿彌陀佛に於て、二佛を并(なら)べざる意なり。
この故に、人閒に於ても、まず主をば一人ならでは、たのまぬ道理なり。
されば外典の語に云わく、「忠臣は二君につかえず、貞女は二夫をならべず」といへり。
阿弥陀様だけをお祈りしなさい、ということだと思います。
たとえにあげられた外典は、『史記』田単列伝のことです。そこに大史公曰く、としまして
「忠臣は二君に事(つか)えず、貞女は二夫を更(かえ)ず」の文章がありました。
福沢諭吉『学問のすすめ』第14篇にも【一心一向】が見られます。
人の世を渡る有様を見るに、心に思うよりも案外に悪をなし、心に思うよりも案外に愚を働き、
心に企つるよりも案外に功を成さざるものなり。
いかなる悪人にても、生涯の間勉強して悪事のみをなさんと思う者はなけれども、物に当たり
事に接して、ふと悪念を生じ、わが身みずから悪と知りながら、いろいろに身勝手なる説をつけて、
しいてみずから慰むる者あり。
またあるいは物事に当たりて行なうときはけっしてこれを悪事と思わず、毫ごうも心に恥ずるところ
なきのみならず、【一心一向】に善よきことと信じて、他人の異見などあれば、かえってこれを怒り、
これを怨うらむほどにありしことにても、年月を経て後に考うれば、大いにわが不行届きにて
心に恥じ入ることあり。