人より抜きんでてすぐれ、度量が広く細かいことにはこだわらないさまを言います。
【高邁】は、衆人より高くすぐれていることを言います。
【闊達】は、畳韻の擬態語で、心が広く物事にこだわらないことを言います。
中島敦『李陵:リリョウ』に出ています。
引用した文章の中に
【朋党比周(ホウトウヒシュウ)】 仲間を作って結託し、仲間以外を排除すること。
http://fukushima-net.com/sites/meigen/419
【擠陥讒誣(セイカンザンブ)】 悪意を以て人を陥れ、無実の罪を言い立てて讒(そし)ること。
http://fukushima-net.com/sites/meigen/1943
二つの四字熟語が含まれています
調子のよいときの武帝(ブテイ)は誠に【高邁闊達】な・理解ある文教の保護者だったし、
太史令(タイシレイ)という職が地味な特殊な技能を要するものだったために、官界に
つきものの朋党比周(ホウトウヒシュウ)の擠陥讒誣(セイカンザンブ)による地位
(あるいは生命)の不安定からも免れることができた。
数年の間、司馬遷は充実した・幸福といっていい日々を送った。
(当時の人間の考える幸福とは、現代人のそれと、ひどく内容の違うものだったが、
それを求めることに変わりはない。)
妥協性はなかったが、どこまでも陽性で、よく論じよく怒りよく笑い、なかんずく論敵を
完膚(カンプ)なきまでに説破することを最も得意としていた。