男女の契りの喩です。
戦国時代、楚の襄王(ジョウオウ:B.C.299~B.C.263)が、大夫の宋玉(ソウギョク)を伴って雲夢(ウンポウ)というところで遊ぶことがありました。
そのとき「高唐の館」を眺めるとその上に不思議な雲がかかり、高く立ち上るかと見るとたちまち形を変えるなど、不審に思った王は、宋玉に問いました。
「いったいあれはなんという雲だ。なんの意味があるのだ」
すると宋玉が答えていうには
あれは朝雲というものでございます。
昔、先王の懐王(B.C.328~B.C.299)がこの高唐の館にお出でになって遊ばれたとき、お疲れになってしばらく昼寝をなさいました。すると懐王の夢の中に一人の女性が現れてこういったのです。
『私は天帝の末娘で瑤姫(ヨウキ)と申します。嫁ぐこともなく命を落としてしまい、巫山というところに祭られております(ですから私、“男”を知りません)。 今、王が高唐に遊びに来ていらっしゃると聞いて訪ねて参りました。どうぞ枕をともにさせてくださいませ』
王はそこでその女を寵愛し、情を交わされました。やがて帰るとき、女はこういって別れを告げました。
妾在巫山之陽高丘之阻、
妾(ショウ) は巫山の陽(みなみ)、高丘(コウキュウ)の阻(ソ)に在り
私は巫山の南、高い丘陵の険しい所におり、
旦爲朝雲、暮爲行雨、
旦(あした)には朝雲と為(な)り、暮(く)れには行雨(コウウ)と為(な)り、
朝は朝雲となり、暮れには雨となり、
朝朝暮暮、陽臺之下、
朝朝暮暮、陽台(ヨウダイ)の下(もと)にあり、と。
朝な夕な楼台のもとに参りましょう
旦朝視之如言、
旦朝(タンチョウ)に之(これ)を視(み)れば言(ゲン)の如し。
翌朝、巫山の方を見ますと、言葉通り雲が湧いておりました。
故爲立廟、號曰朝雲。
故(ゆゑ)に為に廟(ビョウ)を立て、号して朝雲と曰ふ、と。
そこで彼女のために廟を建てられ、朝雲と名付けられたのです、と。
初夢は、元日から2日の夜、または、2日から3日の夜に見る夢を言うのだそうです。
初夢に見ると縁起が良いものを表すことわざに「一富士(いちふじ)、二鷹(にたか)、三茄子(さんなすび)」というものがあります。起源は諸説あるようですが、個人的には仇打ち説が好きです。
「一富士、二鷹、三茄子」には続きがあるそうです
一 富士 :曾我兄弟の仇討ち・・・・・富士山の裾野
二 鷹 :忠臣蔵・・・・・・・・・主君浅野家の紋所が鷹の羽
三 茄子 :鍵屋の辻の決闘・・・・・伊賀の名産品が茄子
四 扇(しせん) :末広がり。
五 煙草(ごたばこ):上がる煙で、上昇気運。
六 座頭(ろくざとう :茄子と同じく毛が無いことから「怪我無き」は佳きこと。