不遇の人に食事などの恵みを与えることのたとえを言った、四字熟語です。
夏目漱石の『虞美人草』十二章に出ています。
四五日は孤堂(コドウ)先生の世話やら用事やらで甲野(こうの)の方へ足を向ける事も
出来なかった。昨夜(ゆうべ)は出来ぬ工夫を無理にして、旧師への義理立てに、先生と
小夜子を博覧会へ案内した。
恩は昔受けても今受けても恩である。恩を忘れるような不人情な詩人ではない。
【一飯漂母】を徳とす、と云う故事を孤堂先生から教わった事さえある。
先生のためならばこれから先どこまでも力になるつもりでいる。
【一飯漂母】の故事は『史記』淮陰侯列伝 第三十二にあります。
信(韓信:カンシン)、城下に釣りす。諸母(ショボ)、漂(ヒョウ)す。
信が(淮陰:ワイイン)城下(の淮水:ワイスイ)で釣りをしていた時、
小母(おば)さんたちが、水に綿を漂(さら)していました。
一母あり、信の飢えたるを見て、信に飯し、漂を竟(お)うるまで、数十日。
一人の小母さんが、信がひもじそうにしているのを見て、信に飯を食べさせてあげた。
(その施しは)綿を漂している間の数十日にわたって続いた。
信、喜び、漂母に謂いて曰く、吾、必ず以て重く母に報ゆるあらん、と。
信は喜んで、小母さんに言いました。
おれはきっと小母さんに十分なお礼をするぜ。
母、怒りて曰く、
小母さんは怒って言いました。
大丈夫、自ら食(やしな)う能わず。吾、王孫を哀れみて食を進めしなり。
豈に報いらるるを望まんや、と。
大の男が自分で食いしろもかせげんくせして。
あたしゃ、にいさんが気の毒で食事をあげただけだよ。
お礼なんかをあてにしてるもんですか。