周りの事などおかまいなしに、自分の感情のおもむくままに行動することを言います。
【情(ジョウ)を直(なお)くして径(ただ)ちに行(おこな)う】と訓読みされます。
【直情径行】は、儒学の経典で、五経の一つである『礼記:ライキ』に出てきます。
『礼記』は中国古代の【礼】に関する理論と実際を記した書物で、周末から漢初までの儒者(ジュシャ)の説を集録したものです。
【直情径行】は『礼記・檀弓【ダングウ】篇』に出ています。その辺んを逐条訳で示します。
子游(シユウ)曰く、禮(レイ)は情(ジョウ)を微(そ)ぐ者有り、
子游は言いました。礼は、人の気持ちを押さえて表現するものです、
故(こと)を以(もっ)て物を興(おこ)す者有り、
事柄に応じて、着るものや使うものを定め、それによって気持ちを引き立たせるように
工夫してあります。
情を直(なほ)くして徑(ただち)に行ふ者有り、
感情のままに、そのまま思った通りに行動する者もありますが、
(しかし気持ちをそのままに表現する作法は、我々の礼にはありません)
戎狄(ジュウテキ)の道なり。
【直情径行】でやるのは「えびす」のやり方です。礼の本質はそういうものではない。
「子游」:孔子のお弟子さんで「孔門十哲:孔子の弟子の中で最も優れた十人の弟子」の一人です。文学に秀でていました。
「戎狄」:大昔から中国は、自分達が一番偉く、周りは野蛮人(東夷:トウイ、西戎:セイジュウ、南蛮:ナンバン、北狄:ホクテキ)であるという、幼い考え方「中華思想」を持ってました。
すなわち、大昔の中国人は「喜怒哀楽(キドアイラク)」の感情のまま行動するのは野蛮人であり、【礼】を弁えた人間は、感情を押さえ、おくゆかしく行動するものであると、考えていたようです。